アモアスでのゴースティングの是非について

【主張】

A.「ゴースティングをすることはやってはいけない行為である」は偽である

B.ゴースティング行為の是非については、基本非であるが、是の場合もある

C.是非について、傾向はあって、プレイヤーの気心が知れている場合、大義名分がある場合は是になりやすい

 

ゴースティングのダメなところは、正体隠匿系ゲームにおけるカンニング行為であり、

「一緒にプレイする人に対して不誠実な行いである点」である。(この点において、ゴースティングはチートと共通している。)

 

逆に言えば、

①一緒にプレイする人以外にとっては良い行為かもしれないし、

②不誠実であったとしても、不誠実であること以上に、一緒にプレイする人にとって良い行いであれば、良い行為である。

 

チートに関して言えば、

個人の経験からチートを絶対に何があってもダメな行為で言語道断だというのは、誤りである。

例えば、後出しじゃんけんは明確なチート行為であるが、これをありとあらゆる状況でやったらいけないというのは言い過ぎであろう。

 

①についていえば、仮にA国とB国がじゃんけんで何かを決めるとして、A国が後出しじゃんけんでも何でもして、勝つことでA国にとって利益があるなら、A国にとって良い行為である。

 

②については、じゃんけんで負けた人が、何か負担を負うケースで、今日は自分が負担を負おうと考えて、後出しじゃんけんで負けるという行為は、じゃんけんという行為においては不誠実だが、全体でみれば誠実な行いであろう。

 

つまり、「チートだからやったらダメ」は偽である。

 

ゴースティングについては、仮にゴースティングを行った人が配信者の場合、

その視聴者が喜ぶなら少なくともその視聴者にとっては良い行いである。

(ただし、この論は部分的に良い行いであるといっていて、全体の是非を述べていない)

ないしは、取れ高がとれて、アモアス配信者全員の知名度が向上し、広告収入が増えた場合は、(Gそれ自体がダメだと信じている人に叩かれたり、嫌われたりするといった総合的なデメリットを無視すれば)よい行いである

全体として良いか、悪いか、というのは価値観、関係者によって複雑な要素を持つものであり、絶対にダメとかいう話ではないだろう。

 

但し、私の主観による傾向として、チート行為が許容されやすい環境というのがあって、

気心がしれている間柄であること、ないしは、それを行う大義名分がある場合である。

 

最後に、

ある行為によって嫌な思いをした人は類似の行為に嫌悪感をいだくものであり、それは自然な感情であろう。

後出しじゃんけんで本気で嫌な思いをした人はそこまで多くないため、不快感を感じるい人は少ないと想像するが、

FPSのチートは本気で嫌な思いをした人が多く、どんな状況でも許したくないと感じるのは自然なことであろう。

 

ゴースティングに嫌悪感を持っている人が多い界隈であれば、

それを避けるのが賢い選択であろう。

 

逆になんでもありのネタに走っている界隈でゴースティングをしたとしても罪は軽く、トータルでプラスになるという考えもあるのではないか。

今回の事例を見る限りは、賢い選択ではなかったように見えるが・・・

 

【どうでもいい話】

Gを許容する発言をするとヤバい奴だとみなされるからやめた方がいいって

主張があったが、自分のこの主張は許容しているとみなされるのだろうか?

 

Gがルール違反なのは同意だし、不誠実な行いであるという認識だが、

この主張をする人は、Gが悪だと断じている時点で対立している気がする。

僕にはGに対する嫌悪感からやや盲目的に悪だと断じているように見えてしまう。

このやや盲目的に悪だと断じているところが鼻についたから、もやもやしてこの記事を書いてしまったわけだし。